
2025年4月13日に開幕し、同年10月13日に幕を閉じた日本国際博覧会、通称「大阪・関西万博」。半年間にわたる開催期間を無事に終え、まずは地元大阪に住む人間として、心からの安堵と、この大きなイベントが成功したことへの喜びを感じています。
この万博が開催されたのは、大阪市此花区夢洲です。此花区は私の生まれ育った街で、夢洲はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)などの施設もある、大阪湾岸地域の要衝です。この半年間、大阪市内、特に会場へのアクセスを担う西九条や大阪駅周辺など、交通のハブとなる場所は、国内外からの訪問者でかつてないほどの賑わいを見せていました。
朝の通勤電車に乗ると、スーツケースを持った外国からの旅行者の方々に囲まれることが日常茶飯事でした。賑わいは大阪の街にとって非常に喜ばしいことなのですが、地元住民の私としては、正直、移動のストレスも大きかったと言わざるを得ません。それでも、世界中から日本、そして私の故郷である大阪に注目が集まり、街全体に活気が満ち溢れる光景は、非常に誇らしく、感慨深いものがありました。
開催前は、準備の遅れや費用の問題、工事関係のトラブルなど、ネガティブな報道が目立ち、「失敗に終わるのではないか」という懸念の声も多く聞かれました。しかし、蓋を開けてみれば、この万博は当初の懸念を吹き飛ばす素晴らしい成果を収め、成功裏に終わったと言って差し支えないでしょう。この成功は、運営に携わった全ての方々の並々ならぬ努力と、来場された方々の熱意の賜物だと思います。
大阪万博の歴史について

実は、大阪は過去にも大規模な国際博覧会を成功させてきた、歴史ある開催地です。
私が生まれる前の1970年には、「日本万国博覧会(大阪万博)」が開催されました。これは「太陽の塔」がシンボルとして知られ、日本の高度経済成長と未来への希望を象徴する、歴史的な大イベントでした。当時の来場者数は6422万人という驚異的な数字を記録しており、日本人がこのイベントにどれほどの熱狂を注いだかがわかります。
その後、特別博覧会という位置付けで、1985年の「国際科学技術博覧会(つくば万博)」、そして1990年の「国際花と緑の博覧会(花博)」などが開催されました。特に花博は、私も小学生の頃に家族で訪れた記憶があります。色とりどりの植物と、華やかなパビリオンが並び、非常に楽しい思い出として心に残っています。当時、記念にお姉さん二人と写真を撮ってもらった記憶が、今でも鮮明です。
そして、2005年の愛知万博(愛・地球博)を経て、今回の2025年「大阪・関西万博」が開催されました。つまり、大阪はこれで三回目の大規模な国際博覧会を成功させたことになります。これは、国際的なイベントを誘致し、開催・運営する上での大阪のポテンシャルとノウハウの高さを示していると言えるでしょう。ちなみに、私は今回、あまりの人の多さと、真夏を挟む開催期間の暑さを考慮し、残念ながら会場への訪問は見送らせていただきました。
数字が物語る成功の証:集客力と経済効果

今回の大阪・関西万博は、当初の目標数値にはわずかに届かなかったものの、実質的には大成功と評価されています。
来場者数と目標達成率
運営側が当初、目標として掲げていた一般来場者数は2820万人でした。最終的な一般来場者総数は2557万8986人となり、目標値には届きませんでした。しかし、関係者などを含めた総来場者数は約2902万人に上るとされており、これは2005年の愛知万博の来場者数を上回る結果です。一部報道では目標未達という側面が強調されることもありますが、この集客力は国内外の注目度の高さを物語っています。
経営面での成果と黒字達成
万博の運営費用に関しては、当初から予算が膨らむ傾向にあり、費用面での懸念が最も大きかった点の一つです。しかし、最終的な収支については、現時点の速報値で230億円から280億円の黒字が見込まれているとのことで、黒字を達成しました。もちろん、これはチケットの売上や、企業からの協賛金など、多方面からの収益が確保できた結果です。運営費についても、当初の見込みよりも抑えられる可能性が出てきたという報道もあり、経済的な面でも大きな成果を残したと言えます。多額の税金が投入されているイベントであるからこそ、黒字達成という結果は、非常に重要で喜ばしいことです。
驚異的な集客効率
今回の大阪・関西万博の会場面積は155ヘクタールであり、これは近年の大規模な国際博覧会と比較すると、かなりコンパクトなサイズでした。例えば、過去最大級とされる2010年の上海国際博覧会は523ヘクタールでしたから、大阪万博は3分の1以下の広さです。
しかし、会場の広さに対する来場者数の割合、つまり1ヘクタールあたりの来場者数で比較すると、大阪・関西万博の集客効率の高さが際立ちます。上海万博の約13.97万人に対し、大阪・関西万博は約16.5万人という結果が出ています。会場が比較的狭いにもかかわらず、これだけ多くの人を効率よく集めることができたのは、緻密な運営計画、そしてコロナ禍以降に導入された日時指定予約制などの効果的な運営手法が功を奏した結果ではないでしょうか。
大ヒットキャラクター「ミャクミャク」の奇跡と経済効果

今回の万博の成功を語る上で、避けて通れないのが、公式キャラクターの「ミャクミャク」の大ブレイクです。
キャラクターの発表当初は、その斬新で奇抜なデザインから、賛否両論、むしろ「これはないだろう」といったネガティブな意見が非常に多く聞かれました。正直、私も最初は戸惑いを覚えた一人です。しかし、万博の開催期間を通じて、ミャクミャクは圧倒的な人気を獲得し、最終的には「愛されキャラ」として大成功を収めました。
大阪の街中を歩けば、ミャクミャクのキーホルダー、ぬいぐるみ、中にはミャクミャクの柄をあしらった靴を履いている人まで見かけるほどでした。単なるマスコットの枠を超え、大阪の新しいシンボルとして定着したのです。特に、万博終了後も、天王寺にある近鉄百貨店で見かけたアンテナショップでは、入場制限を設けてグッズが販売されるほどの人気ぶりを見せているのは驚きの一言です。
何かもう私も一周回って可愛く見えてきましたよ。よく頑張ってくれましたし。
ミャクミャクのキャラクターグッズの爆発的な売上は、万博の経済的な成功、特に黒字達成に大きく貢献したことは間違いありません。最初はネガティブな意見が多くても、最終的には多くの人から愛される存在になるというキャラクターは過去にも奈良の「せんとくん」例があります。私はせんとくんよりも「しかまろくん」の方が可愛くて好きですけど。
ミャクミャクもまた、そうした逆転劇を演じた大成功例として、長く記憶に残ることでしょう。今後は、万博のキャラクターという枠を超え、大阪のブランド力を高める存在として、さらに活躍していくかもしれません。
未来への遺産:大阪が残した熱狂と希望
トラブルや懸念が連続する中で始まったイベントでしたが、運営側の不断の改善努力と、来場された方々の情熱が一体となり、最終的には成功という結果を収めることができました。困難を乗り越え、一つの目標を達成したという事実は、大阪、そして日本全体にとって大きな自信となります。
あと、大阪維新の会と吉村さんも一安心だと思います。でも、これからは与党側で色々と頑張らないといけないので大変そうです。
この万博が残したものは、目に見える経済効果や建物だけではありません。世界中から集まった展示物やパビリオンは、地球規模の課題に対する新たな視点と、未来の技術や社会のあり方を考えるための、貴重なインスピレーションを与えてくれるんじゃないかと思います。
また、多くの外国人が大阪を訪れ、日本の文化や人々に触れたことで、国際的な相互理解と交流が促進されました。この「無形の価値」は、今後数十年にわたって、日本の国際的な地位や文化交流に良い影響を与え続けると良いですね。

