
12月といえばクリスマスや年末年始と、何かと心が躍る季節がやってきます。私自身、年末の忙しさに毎年翻弄されている一人ですが、この時期を語る上で欠かせない巨大なイベントがあります。それは、東京ビッグサイトで開催される「コミックマーケット」、通称コミケです。
コミケは、プロ・アマを問わず、様々な作り手が一次創作、二次創作の同人誌やグッズなどを持ち寄り、頒布し合う場所です。ここで言う「頒布」とは、単に商品を「売る」という行為を超え、互いの創造性や情熱を分かち合う文化的な意味合いが強いと私は感じています。参加者は、サークルとして作品を出す側と、それを手に入れる側、どちらも一種の「買い手」としてこの文化を支えています。
このサークル参加は抽選で行われます。どれだけ有名なサークルであっても落選することがあり、その厳しさから、コミケは「創作の登竜門」とも言える特別な場所となっています。しかし近年、この歴史ある創作の場に、ある新しい技術が大きな波紋を投じています。それが、生成AIです。
生成AIがもたらした「誰もがクリエイター」という光と影
生成AI、特に画像生成AIは、プロンプトと呼ばれる短い文章を入力するだけで、驚くほど高品質のイラストや画像を瞬時に生み出すことができます。これまで絵を描くスキルがなかった人でも、一定のクオリティの「成果物」を手軽に作り出せるようになった点は、AIの持つ大きな強みであり、同時にその技術的な進化の凄まじさを感じさせます。
この技術は、同人誌のイラストや漫画、CG集、さらにはアクリルスタンドやマグカップといったグッズ制作にも応用され始めています。
しかし、ここで非常に重要な問題が生じています。それは、生成AIが作り出した成果物、つまりイラストや画像、そして音楽などに対する権利や著作権の取り扱いが、現時点では極めて不透明であるという点です。
生成AIは、私たちが入力したプロンプトを元に画像を生成するために、大量の既存のイラストやデータを学習しています。問題は、その学習元となるデータの中に、特定のイラストレーターの方の作品が無許可で、あるいは意図せず含まれており、その結果、特定の画風と酷似したイラストが生成される事例が非常に多く報告されていることです。実際に私自身も、特定のクリエイターの絵柄と「ほぼそのまま」に見える生成AIによる作品を目にすることがあります。
日本の「同人文化」が築いてきた暗黙のルールとAIの衝突
日本の二次創作を主体とした同人文化は、長い歴史の中で「節度ある活動」を前提に、権利者側から黙認されて発展してきました。これは、作り手が「大儲け」を目的とせず、あくまで趣味の範疇、あるいは後の創作活動への経験を積むためのステップとして活動しているという背景があるからです。
しかし、この長年の信頼とバランスの上に成り立ってきた文化に、安易な利益を目的にした生成AI作品が参入してくることで、その暗黙のルールが崩されかねない状況が生まれています。
もし、AI生成物だけで構成されたサークルがコミケの抽選を通過した場合、長年自身のスキルと時間、そして情熱を費やして制作を続けてきたクリエイターたちは、どのような気持ちになるでしょうか。また、無許可で作品を学習元とされた作家さんたちの心中は察するに余りあります。
著作権侵害は基本的に親告罪、つまり被害を被った側が訴えない限りは法的な問題になりにくいという側面があります。しかし、あまりにも悪質な、あるいは大量の無断使用や盗用と見なされる行為が常態化すれば、権利者側も本気で法的な措置に訴える可能性が高まります。その結果、信用を失えば、クリエイターとしての活動の場を永久に失いかねません。
AIは「創造の道具」か「手段の目的化」か
私は、AIという技術そのものを否定しているわけではありません。ブログ記事の構成を考えたり、ちょっとした文章を作成したりと、AIを「ミドルウェア(中間的なツール)」として使うことで、作業効率が向上するメリットは理解しています。私自身、自分のブログで記事の挿絵やバナーとして、生成AIを使ったイラストを非営利で使うことはあります。ただし、その際もGoogleの提供するサービスなど、比較的データの取り扱いが透明だと私が判断したものを選んでいます。
私が考えるのは、AIはあくまで「ツール」であり、「目的」ではないということです。
AIを使えば、確かに簡単に「絵」や「音楽」は作れます。しかし、あまりに簡単であるため、そこから何かを深く学び取ろうという意識が生まれにくいのも事実です。クリエイティブな分野でAIを真に使いこなすには、その分野の基礎知識や技術をある程度習得している、いわば「玄人」でなければ難しいと私は感じています。
創作、すなわち「想像して創り出す」行為には、アイデアを形にするまでの試行錯誤、いわゆる「生みの苦しみ」と、それを乗り越えて完成させた時の「至福の喜び」がセットになっています。私の場合は、自分で作曲した曲に生身のボーカリストの歌声が乗った瞬間が、何物にも代えがたい最高の喜びです。この喜びは、ツールに全てを任せて「生成」しただけでは得られない、人間だからこそ感じられる感情ではないでしょうか。
健全な創作活動のために必要な枠組みとペナルティ
現状、生成AIを巡っては、イラストや音楽のデータ販売サイトなどで、安価かつ大量の生成物が販売され、既に「一儲け」した人もいると推測されます。この無法地帯とも言える状況を改善するためには、AIサービス提供者や、それを利用して作品を公開・販売するプラットフォーム、そして国や業界団体が、具体的な「枠組み」を構築する必要があります。
特に、商用利用、つまり利益を目的にしたAI生成物の販売に対しては、非常に厳しいガイドラインやペナルティを設けるべきだと私は考えます。
例えば、無許可の学習データに基づいて生成されたAI作品を、その事実を隠してサークル参加やグッズ販売などに利用した場合、それが発覚した際には、損害賠償請求や、今後の活動の場を失うほどの重いペナルティを科す制度が必要ではないでしょうか。
AIはダイナマイトや刃物と同じで、使い方一つで人の助けにもなれば、社会を混乱させる原因にもなり得ます。良識のある人々が、この便利なツールによって秩序を乱してしまうのは、非常に残念なことです。
私もブログの挿絵に生成AIは使っていますが、使い道は自身のブログ内コンテンツに留めていますし、今後も生成したイラストをもとに商品を作るということはありません。
この先、「生成AIで作ったイラストなどを販売しても法律的に何一つ全く問題ない時代」にでもなれば話は別ですが、それはなかなかに難しいでしょう。
日本がAI技術で「後進国」と呼ばれることを恐れる必要はありません。それよりも、創作者の権利が侵害され、誰かが深く傷つくことのないよう、人間だけができる「ゼロからイチを生み出す」創造性を尊重し、それを守り育てるための議論を、SNSやリアルな場も含め、今こそ真剣に重ねるべき時が来ていると私は強く感じています。
